第二回 ⛩️高野山巡り⛩️パワースポットツアー🌲

第二回 高野山巡りパワースポットツアー

(くりすたるはうす主催)

ご参加いただきました方々お疲れ様でした。今回は日頃の疲れを癒していただければと開催をさせていただきました。

次回開催日時未定 ご参加ご希望の方はお声掛けくださいませ。

高野山開運ツアー内容詳細

12時 蓮華定院  昼食、精進料理 (約1時間)  (移動10分) 宿坊体験

13時 奥之院   参拝 (約2時間)  途中悪天候により僧侶による法話時間

15時出発  (移動約3時間)

18時 平安(香芝) 夕食、焼肉料理 (約2時間)  

20時 解散

高野山

1200年前に弘法大師空海が開創した真言密教の聖地であり、高野山全域を「総本山金剛峯寺」とし、特に「奥之院」と「壇上伽藍」は2大聖地として信仰を集めています。「高野”山”」という名ではあるものの、地理学上の山ではない。高野山内は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、境内の中に発展した町であり、元来は高野山全体と金剛峯寺は同じである。そのため高野山内の歴史、伽藍、文化財関連については、金剛峯寺で詳述している。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。

高野山真言宗総本山金剛峯寺

高野山は「一山境内地」といわれ、かつて結界が張られていた内部全域が境内地とされ、境内の中に開かれた宗教都市である。山内を大きく分別すると、壇上伽藍(伽藍地区)、総本山金剛峯寺(本坊)、奥之院(墓域)、高野十谷(子院・塔頭地区)で構成されている。これらの地区全体の西端には高野山の正門にあたる大門(重要文化財)がある。信仰の中心となるのは山内の西寄りに位置し、かつて空海により二重の結界が張られた壇上伽藍と呼ばれる聖域である。ここには総本山金剛峯寺の総本堂にあたる金堂や真言密教の根本道場となる根本大塔を中心とする主要な堂塔が立ち並び、伽藍地区となっている。その東北方に本坊である主殿が建つ総本山金剛峯寺がある(広義における金剛峯寺は高野山全体と同義だが、狭義における金剛峯寺はこの本坊のある総本山金剛峯寺を指す)。壇上伽藍の周辺地区には高野十谷があり「子院(塔頭)」と呼ばれる多くの寺院が立ち並び、また高野山大学、霊宝館(各寺院の文化財を収蔵展示する)などもある。地区東端には墓域である奥之院への入口である一の橋があり、ここから2キロほどの墓域が続き、最奥に弘法大師信仰の中心地である奥之院がある。

壇上伽藍(壇場伽藍)

空海が高野山を開創したさいに、二重の結界を張り密教思想に基づく場所である。曼荼羅の道場の意 の壇場と、梵語のサンガ・アーラーマの音訳で僧侶が集い修行をする閑静清浄な所の意の伽藍の壇場伽藍である。伽藍とは僧侶の修行場であり、一段高い土地にあるため、今日では「壇上伽藍」と表記されることが多い。空海が高野山を開創し、真っ先に整備に場所が壇上伽藍で、最初の伽藍配置は、空海独自の密教理論に基づく伽藍配置であり、壇上伽藍の南北の中心線上に南から中門、講堂(現、金堂)、僧房が配置され、また真言密教の根本経典の「大日経」、「金剛頂経」の世界を象徴する塔を、僧房を挟み、東に大塔(胎蔵界)、西に西塔(金剛界)を相対させて建て、伽藍配置によって密教空間を創り出そうとしたものである。実際に空海が計画した伽藍がすべて完成したのは、経済的、地理的要因などにより空海が入定してから52年後の887年(仁和3年)となった。壇上伽藍は、高野山内の西寄りに位置し、金堂・根本大塔・西塔・御影堂などの立ち並び、境内地の核にあたる場所で、奥之院とともに信仰の中心となる高野山の2大聖地の1つである。ここは、空海が在世中に堂宇を営んだところで、現在の諸堂塔は大部分が江戸時代後期から昭和時代の再建であるが、現在も真言密教の道場として高野山の中核となっている。なお、壇上伽藍には両壇遶堂次第(りょうだんにょうどうしだい)にのっとり、右遶(うにょう)という正式な参拝方法がある。

弘法大師 空海

空海は、宝亀5(774)年に現在の香川県に生まれました。若くから修業を重ねて、延暦23(804)年に唐へ留学した際に、当時の真言密教の最高権威から継承者に選ばれました。大同元(806)年に日本へ帰国すると、ますます修業に励みます。密教の修行場を探していた空海は、白と黒の2匹の犬を連れた狩場明神と出会い高野山へ導かれ、古くからこの地を治める丹生都比売大神から神領を授かり、高野山を開山しました。弘仁7(816)年に「修禅の一院」と「金剛峯寺」を創建し、承和2(835)年に入定して、今でも高野山を守り続けています。

子院・塔頭

高野山内の寺院数は総本山金剛峯寺と大本山宝寿院を除いて117の寺院があります。ただし、この中には独立した堂宇としては現存せず、寺名だけが引き継がれているものも含まれる。山内寺院のうち52か寺は「宿坊寺院」となっており、塔頭寺院と参拝者の宿泊施設を兼ねている。これらの寺院はもともとは僧の住居である草庵でしたが、宿坊の起源は古くは平安時代にさかのぼり、諸国の大名の帰依、壇縁関係を結ぶことで、経済的な支援も受けた。その後、現在のような一般参詣者も宿泊できる宿坊となり、伝統の精進料理を味わったり、お勤め(朝勤行)、写経、写仏、阿字観(瞑想)などを体験できるようになっている。国宝の多宝塔を有する金剛三昧院も宿坊の一つである。

奥之院

表記は「奥の院」「奥院」などとされる場合もあります。

寺院群の東端にある奥之院入り口の一の橋から中の橋を経て御廟橋まで、約2キロにわたる参道と墓域が続く。

日本には古から川を、この世とあの世の境とする習わしがあり、

橋を渡る事であの世へ渡るとされ、また川を渡る事で穢れを落とすと考えられ

奥之院では3本の川を渡る構成となっており、川と橋を渡る事で仏の浄土(聖地)へ行ける事とされている。

中世以降、高野聖による勧進や納骨の勧めにより参道沿いには約20万基を超すともいわれている石塔(供養塔、墓碑、歌碑など)が立ち並ぶ。

御廟橋を渡ると空海入定の地とされる聖地となる。一番奥に空海が今も瞑想しているとされる御廟があり、その手前には信者が供えた無数の灯明がゆらめく燈篭堂がある。空海は62歳の時、座禅を組み、手には大日如来の印を組んだまま永遠の悟りの世界に入り、今も高野山奥之院で生きていると信じられている入定信仰があり「死去」「入寂」「寂滅」などといわず「入定」というのはそのためである。

高野山・真田坊 『蓮華定院』 昼食宿坊体験 

高野山・真田坊 『蓮華定院』宿坊にて精進料理🍱を口にすることで仏教と密接に結びつけながら日頃の感謝を思い美味しくいただきました🙏

高野山真言宗を宗旨とする寺院で関ヶ原の戦いの後、真田昌幸公と真田幸村公が仮寓していた真田家とはとてもゆかりのあるお寺です。

蓮華定院は鎌倉時代の初め、行勝上人により開創されました。本尊は阿弥陀如来様です。

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